今日の講義

日は我が学部にOBの富野由悠季氏が来た。あの「機動戦士ガンダム」の総監督だ。
ものすごい数の人が集まっていた。たぶん学外からも集まったんじゃないのかな。


僕は小さい頃からロボットとかSFには興味がなかった。むしろ、目の前を走る車の方が好きだった。
だから「機動戦士ガンダム」もしっかりと見たことはないし、富野氏の作品も名前を知っている程度だったのだ。


富野氏が最も強調したのは「人に見せる作品を作れ」ということだった。
富野氏はロボットが好きで「ガンダム」を作ったわけではない。
映像業界で生き残る手段として、「おもちゃの宣伝」という「ガンダム」を選択したにすぎないと言う。


それは僕らのようにとりあえず「何かを作る」ことを学んでいる人間にとっては重要なテーマの一つだ。
自分の好きな作品だけ書いていくだけなら別に学校に来て学ぶ必要も無い。
僕のような絶対的な才能が無い人間は誰かを泣かせるために、笑わせるために、喜ばせるために作品を書かなければいけない。
自分を表現し続け、しかもそれが評価されるなんていうのはほんの一握りの天才だけの話だ。


誰かのために作品を作るっていうのは実は凄く愉快なことだ。
高校時代、文芸部だった僕は自分の書いた小説を結構有名な作家先生に読んでもらったり、文学の知識が豊富な文芸部の生徒に読んでもらったりして感想を聞けた。すると、すごく的を射た意見が帰ってくるし、確かにそれは参考になった。
けれども、これからも小説を書き続けよう、という気力をくれたのはいつもクラスの、文学なんてまったく興味のない友人たちだった。彼らは本当に素直に僕に感想を言った。つまらないモノはつまらないと、面白いものは面白いと。金髪にパーマで、授業中にメールを打っているクラスの女の子に、僕の小説を読ませて「おもしろい」と言わせる。これほど愉快なことはなかった。
自分で読み返してみても、誰かを楽しませるために書いた小説は独りよがりの作品よりもずっと面白いのだ。
人を楽しませることは今も楽しい。その気持ちに素直に忠実に小説を書いていこうと今日の講義を聴いて改めて思った。


しかし富野氏は放送禁止用語連発だった。65にしてあのパワー。やはりモノを作るというのは凄いパワーだ。